リフレクションを学ぶ!リフレクションで学ぶ! Vol.2

上條晴夫さんインタビュー

「なぜ、真似するだけではうまくいかないの?」

上條
僕は小学校の先生をやっていたことがあるんですけど、最初のに2年ぐらいは気が付いたことだけをノートに一生懸命メモしてたんです。シーンの記憶をしてなかったんです。気がついたこと、発見した大事なことだけを、ノートに書き留めて行って、何十冊も発見ノートみたいなものを作ったんですが、結局使えなかったんです。
伊原
私も普段、大事に感じたこととか、課題に感じたことをメモしてますけど、エピソード記憶だとシーンの中の何を書き留めておくんですか?
上條
何からそれが発見されたのかっていう、元データが必要なんです。元データというのは、シーンです。
伊原
その気づきが起こった、まさにエピソードですね。
上條
そうです。僕がリフレクション研究を始める前の2年半ぐらい、気づきメモの時代があって、ノートにたくさん書き留めたけど、これがほぼほぼ使えなかった。そこから自分の専門性を急上昇させたのは、授業記録に僕が興味関心を持って、それを書き留めるようになってからです。

授業記録というのは、自分がやった授業を、真似の出来るように書き留めるんです。なかなか素人にはできないです。詳細に書けばいいということでもない。小学校の場合45分の授業の情報の中から、どこを強調して書き出すと意味のある記録になるかということが分かったんですね。

授業記録では、教師の中心的な指導の言葉(指導言)をまず強調するんです。枠囲みなどで。それを柱として、あとは、柱と柱がどのようにつながったか反応の系列を書き込んでいく。5年ぐらい夢中になってやりました。この授業記録を分かりやすく書く一等賞になりたくてやりました。

僕は自分が工夫した授業を、誰かに伝えたいという欲望を持っている人だったので、できるだけ僕が工夫したことを、工夫したものとして分かるように他者に伝えたかったんです。 でも、そこから、リフレクションまで10年ぐらいかかるんです。

授業記録を一生懸命書いた時期から、追視論の時期が何年か続きました。追試論というのは、詳細にポイントを絞った記録を自分も書くし、みんなも書いて、それを真似する、追視するというものです。それも一生懸命やったんですが、これでは上達しないということがわかってきたいんです。

「真似できるように書いたのに、なぜ真似するのではうまくいかないの?」とずっとグズグズグズグズ考えてました。その裏側で、リフレクション研究というのが出てきていて、出てきているのは知っているんだけど、なんでそんな変ちょこな話するんだろうなって、ずっと思ってましたよね。

決定的に違う、それぞれの”いい”がある

伊原
リフレクションが使える!と気づいたきっかけのようなことがあったのですか?
上條
大学の教員になって、学生たちに面白いなと思う授業を追体験ベースで伝えたときに、4割ぐらいの学生は「先生おもしろい!いいです!」「こういうのを僕やりたかったです。勉強したかったです」というんです。

ところが、何割かの学生が同じ授業を弾くんですよね。何て言って弾くかというと、「授業はこんな面白いものではありえないです」と。「授業っていうのは、先生が黒板に文字を書いて、それを写すのが授業」と頑なにそういうんですね。もちろん、面と向かって言うとのは、僕に親しい学生たちですよ。

リフレクションで割と重視するのは、その人がどういうものを価値あるものとして感じているかということで、そこを抜きにしないということです。同じシーンを見ても、ここいいじゃんって人と、同じところを別の角度からいいじゃんっという人がいます。また、同じ短いシーンの中でも、こっちをいいって言う人と、別のところをいいって言う人がいるんですよ。

そこを無視して、これいいよねって言っても同じ踊りにはならない。嵐の二宮くんのダンスがとってもいい!というファンが2人いたとして、「この腰の振り方がいい」というのと、「あそこのステップがかっこいい」っていうのは、もう決定的に違う”いい”なんです。

この二人が二宮くんのダンスを真似して踊り始めたとき、違うダンスになるんです。いいと思うポイントが違うから。
伊原
とっても分かりやすいです!上條さんの授業を「面白い!」という人と、「授業ってそういうもんじゃないんですよ」と反応が別れたあたりから、リフレクションが必要になるかもしれないと思い始めたんですね。
上條
新しい何かが、リフレクションって言ってる”あれ”みたいなものが必要になるのかなーって思い始めたのかもしれないです。一応そのとき、リフレクションも研究として、小さくやってはいたんです。学生たちにも指導してはいたんですが、本当に小さな装置ですよね。90分の講義のうち、せいぜい10分くらいです。リフレクションを扱っていたのは。 今は半分ぐらい、リフレクションやってますから。

リフレクションは、アプリではなくOSだった!

伊原
最初の頃はリフレクションがいい解決方法になるっていうところまではいってなかったのですね。
上條
良い方法のひとつだと思っていた。じゃなくてリフレクティブな学びって全部なんです。
伊原
え、全部?
上條
全部です!どんな学びをするにしてもリフレクティブな学びをするのか、誰か偉い人を決めて理論とスキルを学ぶのか。
伊原
2つの学び方があって、どちらを選ぶかということ?
上條
そうです。 実は僕も最初は、リフレクションという方法があるのだと思っていたんです。でも、方法じゃなくて、前提だったんです!

「リフレクション」というアプリを一個入れると、なんとなくこれまで課題に感じていたところが良くなると思ってやってはいたけど、気が付いたらそれはOSだったんですよ。
伊原
なるほど!OSだって気付いてからは、何が変わっていったのですか?
上條
何が変わっていった?そう質問する人に答えるのが難しいな〜。
伊原
アプリだと思って扱っていたときと、これは、OSだったんだと気づいてからのリフレクションとの付き合い方というか。
上條
部分的にこの装置を取り入れたらうまくいくよって話と思っていたのが、そもそもどういう風に自分は学んでいるのかを意識し直すということだったんです。そこが決定的。自分だったり、学生たちがどういう風に学んでいるのかを意識し直すんです。

リフレクションっていうのは大胆に僕は自分の講義に取り入れてますけれども、でも何割かの学生は、そういうことじゃなくて、ありがたい理論を教えて教えてほしい。そこを中心に教えて欲しい。とりあえず自分の理想とか価値とか関係なく、こうやったら上手になるよっていうスキルを教えて欲しい学生がいます。むしろそっちの方が通例多いわけです。

でも僕から見ると、それは何の理想もないまま、やり方だったり理屈だったりでやってるだけで、結局何のために教育をやってるんですか?というとこに答えてないということです。

Vol.3 「これは何のためにインタビューしているんですか?」に続く

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