自己組織化している組織じゃないとブランディングできないVOL.03

フローレンス副理事 岡本佳美さん × 自己組織Dev. 田原真人
ブランド経営のコンサルティングを行う会社を経営する一方で、認定NPO法人フローレンスに立ち上げから関わり、副代表や理事として事業型NPOのブランド戦略に関わってきた岡本佳美さんは、「今は、自己組織化している組織じゃないとブランディングできない」と言い切る。その真意はどこにあるのか、うかがってみました。

サービス提供者と消費者という分断がおこってしまうから、そこをいかに崩すかという役割として運営ボランティアという仕組みが生まれた

田原
そこの転換と近いものが自分にもあって、岡本さんが今おっしゃったこととすごく同質なことが起こったタイミングが私にもありました。

反転授業に関心があって、フラットな関係性のもとで主体的な学びをやっていこうという仲間で集まったFacebookグループ「反転授業の研究」がどんどん増えていって、2,000人、3,000人、4,600人くらいまで増えたんですよ。
そこで、より学びを深めるために有料のオンライン講座をやることにしたんですが、そうすると一緒に探求している仲間に向かってお金を取ってオンライン講座を作るということになるんですね。
講座を開く、集客するっていうのは、ある種講師をブランディングして、この講師はこういう人なんですよと売っていく、そういう世界じゃないですか。
一方ではフラットで学び合うというコミュニティを作ってるのに、その中に突然誰かがブランディングされて、講師になる。そういう矛盾がものすごく出てきてしまったんですよね。

一番矛盾が出てきたのは、ファシリテーション講座でした。
もう、ものすごい矛盾なんですよ。
ファシリテーションというフラットにしてみんなが立ち上がっていくという講座の講師をピラミッド型のブランディングをして仲間に売ろうとする、その矛盾で自分がもう止まってしまって。
その状況をコミュニティの中で「自分が矛盾を強く感じてしまって、どうしたらいいかわからない。」と打ちあけたんです。
そしたらそのコミュニティの仲間の一人が、「講座ができるようにしようよ。」といって、ビデオを作ってくれたり、「この講座はこういう講座だよ」と言ってみんなが発信してくれるようになったんです。
それだけでなく、ビデオを作ってくれて、発信もしてくれた仲間が、お金も払って受講者としても入ってくれて、そうやって支えられて 講座ができたんですよね。
ところが、それをやったら、その次同じやり方ができなくなってしまって、「果たしてこのあと、自分たちは講座をどうやったらいいんだろうか。」という状況に陥ってしまいました。

そのときに、答えを探しに行った京都精華大学で筒井洋一さんという人が、教員の代わりにボランティアに授業をさせるということをずっとやっていたんです。
そこには見学者もたくさん来ていて、ボランティアが授業をして見学者もグループワークに入って、それを外にもフルオープンにする形で授業を進めていくという形をとっていました。
すごいところは、見学者の中にいろんな社会人経験のある人がたくさんいて、授業中にフィードバックがどんどん返ってくるんです。
そうすると、そのボランティアで授業やってる人がすごい勢いで学んでいくわけですよ。
そうなってくると、学生も当事者にならざるを得ない状況になって、学生が主体的に学び始めるという、そういう環境を作っていたんですよね。
それを自分たちの講座にも何かしらの形で取り込まないと、もう継続できないなと思って、受講した人が運営ボランティアっていう形で次々に運営側に回ってもらうようにしたんです。
運営チームとして講師をする人、受講者、受講者と講師の間に運営ボランティアという人たちが10人とか20人とかいる。へたすると受講生とあまり変わらないくらいの人数がいたりとかする。そういう風になっていったんです。

その運営ボランティアの人たちが、運営の役割をしたり受講生の役割をしたりしながら、まわっていくみたいな感じになると、フレームが揺らぐんですよね。

受講生がわけわからなくなる。
結果として、その受講生たちも次は運営ボランティアに関わってくれるようになったりして、教育を変えようっていう仲間がどんどん増えていくという感じになっていきました。

そのダイナミクスが、自分の中で「本質に触れたな」という感じがありました。
もともと「消費者を創らない」というのが自分の中で一番大事なこととしてありました。
受講生っていう人が消費者になってしまった瞬間、そこはサービス提供者と消費者という分断がおこってしまうから、そこをいかに崩すかっという役割として運営ボランティアっていう仕組みが生まれたんですよ。

岡本さんの話でも、元々は問い合わせをしに来た人がプロボノになったり、消費者とサービス提供者という関係ではないというものをある意味象徴する存在としてそういう人たちがいてくれるということですよね。
そこが本当に本質的だなと思っています。

目的は消費者を作らないということ

岡本
そのポイントはとても重要だなと思っています。 いわゆるリソースが足りないからボランティアに頼るということだと、手段が目的化しちゃうんですよね。
そうではなくて、目的は消費者を作らないということであり、その手段としてボランティア的なことが機能する場合もある、しない場合もある。
たまたまフローレンスのケースははまったし、京都精華大学もはまった。
でも、 ボランティアに頼るということ自体は、 目的と状況に依存するので万能じゃないですよね。だから、そこのところさえ間違えなければいいのですが、そこを間違うケースって結構あって。
田原
非常に危うい右と左がありますよね。
岡本
本当に危うくて、自分たちにとって、リソースやアセットが足りないという現実は同時にあるわけだから、そこでそういう風に手伝ってくださるボランティアの方がいてくれれば助かるっちゃ助かるじゃないですか。
だけどそこに依存するようになってそれがリソース、アセットとなって自分たちが消費をし始めるようになると、これがまた崩壊するわけですよね。
本来消費者を作らないための仕組みだった手段に対し、自分たちが消費し始めるっていう自己矛盾を無自覚にやってしまうというのが、ボランティアが機能しなくなる、本質的な理由だと思っています。
やっぱり、消費される側っていうのは、お互いに敏感なわけですよね。

体験を作る内部の人が自律分散型の組織になっていないと、どんどん古くなっちゃう

岡本
ようするに私たちがサービス提供者として消費者に消費された瞬間に敏感になるし、 ボランティアが事業者にアセットしてリソースとして消費された瞬間にこの人たちは敏感に反応するわけだから、やっぱりここのところを間違えないのは結構大事です。
フローレンスも初期的に自分たちのチームが弱かったからそのステップを踏んだし、そのときは有効だった。
そのことが、ブランディングって本来分散的なものであり、しかも原材料は体験なんだってことに気がつくトピックとしてすごく重要だったけれども、自分たちの組織の成長とともにボランティアはいなくなるわけです。

それはあくまでもその時の状況に適した手段だっただけだから、その方法が別に未来永劫有効なわけではないですよね。
だからそこのところを間違えないっていうのは結構重要かなと思いますね。
田原
社会の外部には、搾取の物語が溢れてるじゃないですか。 だからそこに違う物語が生まれたわけですよね。クルーと呼ばれる人たちを中心として一緒に社会を変えようって。
でもその出来事をこっちの搾取に慣れている人から見た物語と、クルーの物語がせめぎあうわけですよね、接点で。
信頼関係があって回ってる間は、このクルーの物語で一緒に行けるんだけども、依存の心が見えたりとか、何かの弾みで一方の物語から他方の物語に転換した瞬間、今までのものが全部崩壊してくってことが起こるんじゃないかと。
そこの同じ物が、違うパラダイムに接しているところって、本当に繊細な場所だなっていうふうに思いますね。
岡本
手段が目的化する間なんじゃないですかね。本当の目的を忘れちゃう瞬間なんじゃないのかな。
やっぱり組織も事業も有機的なもので、さっきと今はだいぶ違うみたいな、どんどん動いていくものだから、どんどん動いていくものに対する観察というか、こっちが反応していかないとそこに対して固定的になった瞬間に硬直していっちゃう。
前は機能した手段が機能しなくなるみたいなことが起こるのかもしれない。
田原
前は機能していた方法が機能しなくなる瞬間があるわけじゃないですか。そこに自分が心を開いていれば、あ、機能しなくなったと思って崩壊する前に切り替えられるけど
その成功体験とともにそこが硬直化していると手段の目的化、目的と手段の本末転倒が起こっちゃうわけですね。
岡本
もともと何のためにやっていたのかという目的をどれくらい握っているかって、結構大事だなと思うんだけれども、その手段を思いついた人は割と忘れないんですよね。そもそもさ、というところで帰る原体験が自分の中にあるから。
だから、帰りやすいと思うんですよ。なんかおかしいなってなったときに。

だけど、手段を役割として与えられてしまった人っていうのは、目的も当然コミュニケーションとしては伝えられているんだけれども、体験としてないから、やっぱり自分の中にあるのはチームに貢献したいだったりとか、そっちじゃないですか。そういう気持ちじゃないですか。そうすると、自ら否定していくことってすごく難しい。
だから、目的に対する合意や手段っていうものはあなたの権限で変えていいものなんだっていうチームの風土が大事で、それが、ブランディングが自律分散的であるっていうこと、つまり、体験が原材料だというストーリーにつながるんですけど。

チームが小さいうちはいいですが、成長すれば大きくなるわけで、「どこで触れてもできれば良い体験を届けたい。」といったときに、チーム自身が自律分散型の意思決定ができて、いま言ったような手段の目的化に自ら気付いて、新しい手段にしたほうがいいということをフラットに共有できるチームじゃないと、古くなって機能しなくなってしまっている手段が、前例踏襲的に、硬直的に、ユーザー体験として届けられる。そうするともう全然強いブランドになんかなっていかない。

自律分散型に、ブランドと接点を持った人に届く思い出(体験)だからこそ、その体験を作る内部の人が自律分散型の組織になっていないと、この体験がどんどんどんどん古くなっちゃう。 それが本質的なブランディングの構造として内包されていることなんだろうと思います。
田原
金太郎飴だったらお金を使った規格化の動きで末端まで金太郎飴をまず作って金太郎飴として出すからブランディングされるわけだけれども、体験となった時にはそこにある種、血の通ったコミュニケーションがあって、その血の通った人として更新されているようなその働き方がその組織だったりその組織の周辺だったりで常に回ってる状況じゃないとその血の通ったコミュニケーションによる体験が提供できないっていう話ですよね。
岡本
しかもそれって、いわゆる血の通ったコミュニケーションというのは対面のコミュニケーションだったりとか、あるいは問合せに対するリアクションとか具体的なコミュニケーションとしてわかりやすいから自覚しやすいけれども、体験というのはそういうものばっかりではないので、例えば口コミで広がったものもそうだし、ただなんとなく見かけた電車の中の広告だったりする場合もあるし、なんとなく検索したら見たくもないのに出てくる広告だったりとか、あらゆるところにあるわけですよね。

一見コミュニケーションじゃないような体験というのもいっぱいあるから、全ての体験をデザインしていかなければならない
全てのデザインをできれば良いものにしていきたい。コミュニケーションの接点それ自体っていうのは、結果でしかなくて、その体験がどうなるということを考えるための事前のプロセスそのものに、この体験が決定づけられるお作法が詰まってるわけですよね。

だからこそ日々日々の小さな意思決定、日々日々の小さないわゆる仕事ですよね。そこに体験が最後どうデザインされるかというのが凝縮されちゃうから、ある部分としての体験だけをデザインすればいいってことでもないので、働き方だったりとか、何のためにこの仕事をやってるんだっけっていう全体のデザインがないと、個別具体的なコミュニケーションというのが全然いいものになっていかないんですよね。
田原
なるほどね。組織全体からにじみ出る在り方みたいなものが、接点接点のた足し合わせというか。
ではあるんだけれどもそういう組織全体のにじみ出るあり方みたいなものが自律分散的であるって言うのはある意味それぞれの人が生きている状態でもう組織になっているみたいな感じだとして、それが硬直化してしまった状態でそこはちゃんとしろちゃんとしろという風にトップから見て、直して直してってしても、結局その全体から立ちのぼるいろんなものでどんどんボロが出てしまって、いい体験にならないみたいなことが起こるなーと思いつつ。。

すごく新しいんじゃないかなと思ったのは、今まで目的というのは組織の目的だったと思うんですよ。言ってみれば組織の内部に共有されて、その目的を共有している組織の人たちがお客様に提供するという、そこの範囲が組織の中に留まっていたのが、いってみれば、組織の外に目的が飛び出していく。

それが消費者にしないってことと関係していくんだけれど、社会を変えるってことにも関係していると思うんですよね。だから、お客さんと思ってきた人も、クルーにして組織の目的を共有していくということで、境界が曖昧になってくるんですよね。


そういう消費者と提供者の分断を超えていくような動きが出てきてるんだなぁというのが、話伺ってて感じたことです。
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